確かイッセイミヤケの服の話。 | zig5z7 | sa.yona.la ヘルプ | タグ一覧 | アカウント登録 | ログイン

Re: (ソファーという前提がそもそも良くない。)

確かイッセイミヤケの服の話。

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三宅の衣服づくりは、当初から今日に到るまで「一枚の布」という考え方に貫かれています。それは東洋・西洋の枠をはずし、身体とそれをおおう布、その間に生まれるゆとりや間(ま)、の関係を根源から追求するものと言えるでしょう。

ISSEY MIYAKE Official Site



フランスだかどこかで、ドレスコードのあるような店でごはん食べようとした人(国籍/人種は忘れた)がいて。


本来ジャケット着用がその店のルールなんだけど、イッセイのシャツ(上着ではない)を着てたその客は入店を許可された、ということがあったと何かで読んだ。


反射的に、ざまあみろ、と思った。

日本人なめんな、と。

個人的に大好きなデザイナーだということもあるけど、それより、日本人が作った服が向こうのドレスコードを突破できた、ある程度の敬意を払った装いとして認めさせた、そのことが嬉しかった。


こう思ってしまうこと自体、明らかに、オレたちはガイジンになめられている、という鬱屈した被差別意識があることは重々承知。


話がずれそうな上にまとまりそうにないのでおわり。

投稿者 zig5z7 | 返信 (1) | トラックバック (0)

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Re: 確かイッセイミヤケの服の話。

>オレたちはガイジンになめられている、という鬱屈した被差別意識

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 ほれ、戦後生まれの日本人は、未だに『生まれたときから敗戦国民』ですから。

 太平洋戦争が終わって今年で67年。どれだけ経済で隆盛を極めても、武力で負けたという史実は政治的な力量でアメリカと対等になり得る機会を与えてくれないのです。


 斉藤隆夫の反軍演説の一節に、「国家百年の大計を誤るようなことかありましたならば、現在の政治家は死してもその罪を滅ぼすことは出来ない。」というのがありますが、まさにその通りで、この「被差別意識」は先人による最大の負の遺産だと思う。


 まぁ、現代に生きる自分たちに求められているのは、ソレをいかに気にせず未来的展望でやっていけるか、というスキルだと思われます。あと見栄え。(しつこい)

投稿者 sbifb4 | 返信 (1)

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