もはや伝統芸能なのか | zig5z7 | sa.yona.la ヘルプ | タグ一覧 | アカウント登録 | ログイン

Re: 録画しといた先週分のズヴィズダー観た。

もはや伝統芸能なのか

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・古典落語に暗いのでわかりませんが、同じ内容の話を何回聞いても(噺を聴いても?)やっぱり面白いというか「なんか、いい」ように、もう、そういう、様式美として捉えるべきなのかな、と、ふと思いました。


・小室哲哉が冗談めかして「トランスポーズのボタン押したらそうなっただけ」と言った斬新な転調のような展開というのはもう残ってないんだろうか。


・ミヒャエルエンデの「モモ」の登場人物の一人に、「主人公モモと旧知の間柄でモモの重要な理解者なのに敵の術中に陥って忙しさに負けてしまい同じ話を使い回すようになって罪悪感を覚えるものの大衆は貪欲に次の話をただただ求め続けるだけなので止む無く語り続けて疲弊していく職業的ストーリーテラー」というのが出てきたのを思い出しました。

初めて読んだ時は、かわいそう、とだけ漠然と思ったんですが。痛烈です。


・思えば、「日常」って、すげえタイトルだな。

トータルでまあまあなのが日常。本来は。

本当にそうだったら誰も積極的には見ないかも。


・一時期、漫才やコントの類で、ひとくさりやっておいてから全く関係ないことを「つまり◯◯は××ってことだよね」と持ってきて締める、という形式が流行りかけたことがあったように思う。

あれは苦し紛れなんだろうな。


・以下逸脱。

ズビズバー。やめてけれ。

投稿者 zig5z7 | 返信 (1) | トラックバック (0)

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Re: もはや伝統芸能なのか

とりあえず考えてはみたものの難しい

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以下のどちらも、料理の見た目がひどくある必要が薄い。


・味が「ない」。

何をどう組み合わせても、酸とアルカリのように全ての成分が互いの味を完璧に打ち消しあってしまい、結果として、ただ食感と栄養だけがある料理ができあがってしまう子ちゃん、という天才。奇才。カップ麺でさえ、たまたまその日だけ浄水器がおかしくなったり粉末スープを床にぶちまけてしまったりで味をなくしてしまうのだ。

柔和系イケメンが毎回食べてはくれるんだけど、「今日はちょっと固かったかな」「とても柔らかいね」「すごく冷たいよ」「盛り付けがステキだ」などの感想しかもらえないので毎回地味に凹む。イケメン君はそのままでいいって言うんだけど、あたしはイケメン君が喜ぶ顔が見たいのに。

イケメン君はあまり食に興味がない(当然、自炊もまったくできない)ため、不味くなる方にはっきり振れてしまうよりはいい、と現状維持を目論んでいる。栄養は壊れてないんだし。


・そもそも、食べることがない。

毎回、奇跡的に何かが完璧に噛み合い、うまいこと食べずに逃げおおせる。

飽きてきたころに、たまーに、匂いも含めてものすごくうまそうなものが出てくるが、それも食べられない。

トムとジェリー、ワイリーコヨーテとロードランナー、シルベスターとトゥイーティ、から綿々と続く系譜。


どっちも4コマ系/1話完結系だなあ。


以下もろもろ無理。

料理/調理の部分で作画崩壊してる他作品の画を正当な手はずで借りてきて、そこだけ切り抜いてそのまま合成して使う。

味は思いのほかほんとに普通なんだけど、劇中のほぼ全員が「これってあの作品のアレだよな…」と思いながら食べていて、作った人間だけがそれに気づいていない。

投稿者 zig5z7 | 返信 (1)

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