文化が発散した、というか拡散して有象無象の有耶無耶になって雲散霧消した後 に残るもの |
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思考の泡 おっさんホイホイ |
例えばショパンの「葬送」はGame Overなわけだし、ヘンデルの「得賞歌」は表彰式なわけです。
わけだった。ある一時期の日本では。
でもこんな曲を葬式や表彰式で流さないでしょう今どき。
クイズなんかの正答/不正答もピンポンとブブーだったらちょっと困る。
オレは個人的にグローバリズムをあまり好きではないので、いろんなところでいろんな時にそれぞれのモノやコトがあるのは嫌いじゃない。白という色が縁起悪い文化があったり、エロな色がピンクではない文化があったり、それはそれでいい。
ただ、先の例で言えば曲を聴いた時の「葬式や追憶っぽさ」や「目出度い感」みたいなのはやっぱり自分の中でどこかにしっかりあるし、RPGでバトル勝利とかレベルアップってやっぱりファンファーレじゃん。斃れたらやっぱりちょっと嫌な音するし。
こういうのも全部、ただの条件付けなのかしら。
ピンポンとブブーは、人間なら誰が聞いてもそう思うのかどうか。
もっと言えばウチュージンが聞いてもそう思うのかどうか。
あと、例えば葬送や得賞歌が作曲される前は、彼の地ではどうしてたの。いや別にもともとそのために書かれた曲じゃないでしょうけど。
そんな原始的なことまで考えるのはいくらなんでも考えすぎだとは思います、思いますが。
どうせオレのことだから結論ないしな。
こういうのの食い違いが行くところまで行き着くと、ネコがシャーッとやってるのにあばあばと近寄ってぶっ飛ばされる赤ちゃんみたいなことに。
以下蛇足。
行くところまで行き着くと、ではなく「行き着くところまで行くと」?うわああああいつもにも増してどうでもいい。オレはいったいどこまでどうでもよくなるんだ。調子乗りすぎ。こうなったらいっそ乗りこなしたい
投稿者 zig5z7 | 返信 (0) | トラックバック (0)