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ガルパンはいいぞ |
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Reply 思考の泡 ばか |
印象批評と感想文の違いがよくわかってません、というか身体に染み込んでない。
ソムリエがワインを評するにあたって「霧雨の降りしきる街角の片隅に濡れそぼつ段ボールで震える仔犬のような匂い」みたいな、全体としてはえっらい抽象的なくせにディテールが妙に具体的で外堀から撫で回すような攻め方の言い回しを用いるのも、あの業界ではそれなりに理由や分類や語彙や文法やロジックがあるらしく。
これは我々がオノマトペの国に生まれた幸運なのか不運なのか。ネットリとシットリは明らかに違うのに、それをオノマトペを使わずに言語化することの難しさよ。
ツルツルとスベスベはどう違うのか。その比較という文脈の中ではピカピカはどちらに属するのか。例えば、お肌。
どんどん脱線。
例えば「古池や 蛙飛び込む 水の音」みたいな表現って、翻訳不能だと思うんです。
言い方はかなりアレですけど、ガイジンって、こんなの、訳されたものを読んで何か思うところがあるもんなんでしょうか。「ふーん、で?」で終わりな気がすごくする。手のひらサイズの柔らかい物体が、ちょっとトロみのついた水に没した時の音がするだけでしょ。ぼチョんorとプんッ……ああこれもオノマトペだ。ミーンミーンミーン、しわしわシワシワシワ違うこれは岩に蝉み入る染みの声。染み入る?沁み入る?知ったことか。うるせえよ湿気だ湿気。お前らの国なんてどうせカラッからなんだろ。ヒューミディティがインフュージョンするんだよ。静寂、いやセミが鳴いてるんだからうるさいよねごめん。だーかーらー、池があって庵があるの。いおりアンダスタン?アンダスタンね!ぐぎぎぎぎ。ああこのグギギギギもだ。あばばばば。あばばばば。誰か助けて。
"散文でも韻文でも翻訳すると失われるもの、それが詩だ" という立場があるようなんですが、まさにそんな感じ。
そして、同じようなことって、あっち側からしてもきっとあるはずで。
全ての自然言語は、各人の持つ経験/歴史/文化の壁を超えて感嘆詞の中身を伝えようとする試みなのではないか。元を正せば、ぅオぅ!おォ!へェ?ヘぁエ!なのではないか。
コミュニケーションなんて、言ってしまえば、伝えきれないという絶望の中からしか生まれないのではないか。
小並感って、結局、それが一番「正しい」のではないか。
上手いは技術、いいは感性。では感性とは、感覚とは、そしてその表現とは。
投稿者 zig5z7 | 返信 (1) | トラックバック (0)