「小さなお友達」はどうなんだろう。 | zig5z7 | sa.yona.la ヘルプ | タグ一覧 | アカウント登録 | ログイン

Re: 肌身で実感した。

「小さなお友達」はどうなんだろう。

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戦隊もの然り、プリキュア/アイカツ系然り。

小さなというか、普通のというか、第一に想定されているはずのお友達。


ああいうののイベントも、あれはあれでお作法があるんじゃないかと思うんですよ。遊園地でボクと握手系。

でもあれは保護者と保護される側は別の個体、別の人格。


翻って、アニメイベント(に自腹で行く層)。

大きなお友達が小さなお友達とイコールだけどそれぞれ別、のような、三位一体的な、連れて行く親と連れて行かれる子と二次元に生きるスピリットは全部同じものだけどそれぞれ別、みたいな、なんだろう、「手段が目的になっている」とも違う、目的がそもそも手段であるというか、目的の中に手段を見出して、それを自分で実行できるだけの知性と財力を備えたというか、半周くらいして光合成も多少できるようになったというか、そういう個体の群れ。


ギャルサーとかバンギャとかもそうなのかな。


社会がどんどん細かくなっていってそれぞれがどんどん閉じていく。フラクタル。


まとまりません。

投稿者 zig5z7 | 返信 (1) | トラックバック (0)

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Re: 「小さなお友達」はどうなんだろう。

小さなお友だち系イベント

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プリキュアショーの笑えるできごと(Naverまとめ)


 デパートの屋上で会えるプリキュアは、大人の目からすれば『アニメに比べると輪郭が緩くて、クチを動かさずに声を出し、成人の運動能力以上の行動はできない、プリキュアを極限まで記号化した別のナニか』でしかないのだけれど、小さなお友達はアレを邪推なく本物だと脳内変換する『純真』という名のデコーダーを搭載していて、デコードしたうえで消化しているワケではないですか。


 対して大人の方はアレを「どうせ展開しなくても中身のファイルわかってますから」と言わんばかりに、圧縮データのまま蒐集する事に喜びを感じちゃう。コンテンツそのものに楽しみを感じるのではなく、『コンテンツに関わる自分』を客観的に楽しいと感じられるのが、大人の享楽なのかもしれません。


 汚れっちまった悲しみに

投稿者 sbifb4 | 返信 (0)

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