一昔前は、タバコの箱。 |
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Reply 思考の泡 自己レス |
大きさの比較といえば何も考えずにこれ、というくらいメジャーな道具だった。
最近は何を使うのがいいんだろう、と、たまに思う。
CDもそろそろ古くなりつつあるし、紙幣はちょっと生々しいし硬貨では小さすぎる。ハガキも最近は家にないことも多い。
ジュースの缶や瓶はロゴ等あるので別の意味で生々しく、隠したら隠したでなんとなくNHKっぽい作為を感じる。携帯電話はその機種を持ってないと今ひとつ。
で、定規の類は意外と感覚的ではないのです。
例えば、指を開いて7cm(13cmでもいくつでもいいけど)の長さを示してください、と言われて誤差5mm以内で即座に自信を持って示せるひとってあまりいません。だから数字で聞いても意味は薄い。
似た理由で「手」もダメ。個体差あるし。
となると文庫本くらいしか思いつかないんですが、あれ、タバコの箱みたいな儚さがないのよね。
大きさを確認したら無意識に頭の中で捨てたいんです。あれはもともと、中身はしょせん煙だし外は単なる包装なので、そういう意味ではすごくどうでもいいものだから。
うまく言えませんが、道に落ちてるタバコの箱は踏めても、本が落ちてたらなんとなく踏めなくないですか。そんな感じ。
関連
@nifty:デイリーポータルZ:でかいタバコの箱
http://portal.nifty.com/special05/08/30/
予想通りの違和感が半分、これは違うという違和感が半分。
二つの意味で、これはまわりが小さいんじゃなくて単にタバコが大きいのです。
立っている子供の目線としゃがんでいる大人の目線が違うように。
なんとなくいいこと言ったつもりになったところでおわり。
投稿者 zig5z7 | 返信 (1) | トラックバック (0)