ジェフ・ヒーリーを思い出した |
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JEFF HEALEY。盲目のギタリスト。
やっぱりこうやって置いて弾いてた。あの人はピックでじゃらじゃらストロークしてたけど。
今調べたら死んじゃってるみたい。
以下、話はずれます。
個人的にはストリート肯定派なので、その立場での意見になります。
たまに思うけど、日本のいわゆる都会には広場がない、というか、あっても何もしちゃいけない「ような雰囲気になっている」。時代や国民性もあるんだろうけど。
最たる例が東京国際フォーラムの石。
http://www.t-i-forum.co.jp/general/guide/artwork/index.php
やっぱりあれは日本人には登りづらいですよ。
いや別に登るだけなら登ってもいいんですけどね。少なくとも作者がそう言ってたということを何かで読んだ記憶がある。
でもずっと寝てたらさすがに多分警備員に起こされるとは思うけど。
東京だと渋谷のNHKホール脇の中途半端な遊歩道なんかは比較的「広場」に近いけど、あそこはどうしても基本的に歩道だからなあ。結局は通り抜けてなんぼ的なところがある。溜まる場所じゃない。「あそこに行こう」ってならないもん。
池袋の芸術劇場前も広場だけど、作り付けの舞台があるのはなんか違う気がする。上で書いた遊歩道のすぐ横の広場もそう。新宿のアルタ向かいの島あたりは面積に対して待ち合わせや時間つぶしの人が多すぎるし。
単純に国土というか地べたが狭い、というか人間が多すぎるのかしら。
最近は歩行者天国もいろいろ厳しいしなあ。
井戸端会議っていう言葉ももう死語でいいな。地域に井戸やそれに代わるものがないもん。大規模集合住宅のゴミ捨て場とか、幼稚園や保育園の送迎バス乗降場(になっている何となく広い場所)も違う気がする。
何でもない土地だけど何となく集うって場所がない。新橋のSL広場もある意味酔っぱらいの聖地だろうけど、あれは通りがかったのがインタビューに捕まるだけでしょう。
何かがごやごやしてて生まれそうで生まれなくて、たまに運よく生まれてどうにかなっていく、って空間はあった方がいいと思う。あの玉石混淆な感じは好きです。
仕事でたまにいろんなとこ行くけど博多はレベル高かったです。中州(地名ではなく、地形として)って場は鍛えられるのかなあと思った。通路のような広場のような。
仙台駅前のコンコースもよさそうなんですが、あそこは管轄がはっきりしてるだろうからいろいろうるさそうだ。
もっとも、ストリート肯定派としても思うところはいろいろあって、例えば音量合戦にするのは最低だと思ってはいる。
気持ちはわかるけど、それやりたいんだったら金払ってライブハウス借りろよって思う。
あと終演時刻ね。特に音を出す人は、そこそこ都会な駅前なんかはビルの谷間に自分の音がこだまして気持ちいいのはわかる。でもそれならせめてアンプラグドで勝負して、それで人を立ち止まらせてくれ。ぐいっとボリュームひねってすますのは街宣車と一緒なんだよ。
グレーゾーンをグレーのまま使いたいなら、場というか分はわきまえるべきです。
投稿者 zig5z7 | 返信 (0) | トラックバック (0)