プロとアマチュア、趣味と本業 |
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しばらく前まで、言ってしまえば純粋芸術を生業としていた。
辞めた理由はいろいろあるし、その中でも無視できないというか大部分を占めていたものとして「食えない」というのはあったけど、それと同時に「これで食っていこうと思わなくなってしまった」というのも大きい、と、自分では思っている。
以下、先に言っておかなければならないのは、ゲージュツ業界全般に対する批判ではありません。
あくまでごく個人的な、自分の中の話です。
プロスポーツもそうだけど、ゲージュツというのはある意味、憧れで成り立っている業界ではある。
同時に、自分では創れないものを買う、という、第二次産業的なニュアンスも実はかなり濃く含む業界でもある。
だって、飾りたい絵を描ける人ならわざわざ買わないでしょう。
家や車を塗り替えたり、携帯の着うたを作ったりでもいい。そういうのができなかったりめんどくさかったりするから誰かに頼むんであって。
(他人だからこそできる客観的なアプローチがある、という観点はこの際除きます。)
なので、職業としての芸術家やデザイナーなんてなくなってしまえばいい、と、ずっと思っていた。
自分が好きなものや欲しいものなんて自分にしかわからないんだから、自分でやっちゃうのがずっといいよな、なんでみんな自分でやらないんだろう、って。
空間や時間をもうちょっと心地よくする方法なんて、探せばいっぱいあるのに、って。
でも、辞めて思うのは、やっぱり、そういう職業、要るな。
上で書いた第二次産業的な意味合いを、今はより強く思う。
誰でもダヴィンチみたいに全部できるわけじゃないから。
アマチュアの語源は「愛する」ということだと聞いた。
アマチュア出身じゃないプロなんていないし、それを忘れたプロは屑です。そういうのは今すぐ死ねとまでは言わないけど、芸術的に死ね。辞めてしまえ。
できた事象以前に、それをやるのが楽しい、という人以外、ゲージュツで金なんて取っちゃだめです。「シゴトはしてるけどゲージュツはやめた」みたいな人、結構いるのよね。
同時に、プロなら売れよ、と思う。
それで食ってんだろ、と。パトロン探しだけに躍起になってるバカは死ね。
もちろん、例えば不動産屋の本当の客は大家だけど、入居者のほうを向いていない不動産屋はしょせんそれまででしょう。
それと一緒。
さらに、売るプロになってもだめ。
セールストークで売らないで作品で売れ。
だからみんな、美しい/心地いい事象、買おうよ。
展覧会に行こうよ。音楽会で聴こうよ。本を読もうよ。絵を飾ろうよ。デザイン家電(機能美みたいな部分も含む)使おうよ。
いいものには拍手を、つまらないものにはブーイングをしようよ。
それが敬意というか対価だと思う。ある意味、ゲージュツには原価ないしね。
まとまらないのでここでやめます。
投稿者 zig5z7 | 返信 (0) | トラックバック (0)