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無題

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「俺たちに明日はない」が実はただの「ボニーとクライド」であったような、あるいは「ゼロ・グラビティ」が実はただの「グラビティ」であったような。


例えば「ボニーとクライド」と例えば「シドとナンシー」の間には、タイトルとして何の違いもないとも思うんです。なんなら「俺とお前と大五郎」や「桃太郎」も同じくくりに入れていいくらい。結局は主人公の名前だよね。「桃太郎 & Co.」か?

「細雪」なんて字義通りならほぼ「こなぁぁぁゆきぃぃぃ(ねぇ」でしょう。……これももはや歴史になったネタですが、でも今どき「細かい雪」というだけで本を買ったり映画のチケットを予約したりする人はいないと思う。録画予約も。


識別子としてのタイトル vs. 要約としてのタイトル、みたいなことを、とりとめもなくぼんやり考える。

俳句や短歌は省略の美学だとも言われるけど、その省略の仕方も人によって違うよね多分。短縮芸。どこをどう汲むか。

あげくに百人一首とかでは最初の5文字くらいで「これかな?これかな?」ってなるし。


タイトルとしての語群は書き尽くされている。楽曲のコード進行が書き尽くされているように。

ラノベのタイトルが長いのもしょうがないのかもしれない。「〇〇が××な件」「△△が◻︎◻︎する話」というのも流行りましたが、それも必要に迫られてのことだと思う。

そこを逆手に取った釣りタイトルみたいなのも蔓延って久しいし。ニュースサイトの見出しとかも。


個人的に、タイトルの時点で本文を書き始めるような、というか本文の最初を識別子にするしかないような「春はあけぼのメソッド」は好きなので多用している。ごめんなさい、楽なんです。


sa.yona.laや ああsa.yona.laや sa.yona.laや

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