ルビ芸って他の言語にあるのかなあ |
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思考の泡 |
以下全部、日本語ネイティヴのプレーンテキスト原理主義者の戯言。
で、ルビ芸。あれ欲しいんだけどなあ。
やっぱり、俺と書いてミツハ、不運と書いてハードラック、って読ませたいじゃないすか。というか「読ませたい時ってあるじゃないすか」。
例えば漢文に返り点を打ってまで日本語として読ませたい、その心意気と便利さを広めたい。汲んで/酌んでくれよ。
♂ならではの言い方をすれば、「あの子」と「あの娘」のニュアンスを区別できてこその文字表現ではないのか。どっちも「コ」って読ませたい時があるんだよ。
ルビ芸楽しいのに。使いすぎると鬱陶しいけど。
縦中横のルールがないのはまあわかる。
いわゆる西洋人からすれば、いくらなんでも「並び方の方向の方向」が変わるのはきっときついよ。数直線が複素数平面になるのと同じくらいきついはず。そんなのアリなの!?って思うはず。まさか世界の果てにそんなルールがあるなんて思ってないはず。
でも、そこは譲ろう。こっちだって、もう、そろそろ、いいかげんに、左横書きには慣れてるし。数式なんかを書くときの不便さなんかだってあるもん。
だからそこはもういい。
それでも思う。コンピュータのための文字なのか、文字のためのコンピュータなのか。
ルビ芸ってアルファベット圏でも便利だと思うんだけどなあ。イタリックだのスモールキャプスだので略語を書いておいて上にルビ振る、等。
この先、多国語が入り混じるような文芸作品って増えてくると思うんです。そういう時にも効いてくるはず。
例えば、
・主人公以外の登場人物が、主人公にはわからない言語や符丁で会話していて
・筆者はその内容を描写する必要があるが、作中の登場人物にはそれを悟らせてはならず
・そして読者だけは、状況を全て理解している必要がある
みたいなケース。
映画で言えば、敵キャラの台詞だけ予告なしに字幕がつくような感じです。
歌詞とかでもあるよね。聞いただけではわからなかった表記。
こんなのはただの技術的な制限でしょう。
もう一度書く。コンピュータのための文字なのか、文字のためのコンピュータなのか。
表現の手段が道具によって制限されるなら、それはその道具が悪い。
いや悪いとまでは言わない、未完成だ。
いや2、もちろん、「完成」はあり得ないと思いつつ言ってますけど。
全てのテキストエディタやWebブラウザで、ある言語なりの芸を表示できるように早くなってほしい。
ここまでとは言いませんから。
自分で作れって話ではある。
投稿者 zig5z7 | 返信 (0) | トラックバック (0)