いつでも今日が、いちばん楽しい日。 |
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思考の泡 |
そうじゃないんだよね。
でもこれ、やっぱ、言わなきゃいけないのかな。
おおきくなって(=旧くなって。notオトナになって)、こういうこと言わなきゃいけない「ような気分になる」こと、増えた気がする。
気にするほどのことでもないんだろうけど。まだ大きくなかった頃って、わりと無意識に鋭かったし。
カード買いに来たり千本桜を国歌にしようと(その場のネタにせよ)言ったりする子にとっての10年後なんて、永遠のその先なんですよね。
こういうの、ヤキが回ったとか、薹が立ったとか、シンプルに老害とか、言うんだろうか。
以下蛇足。
せんせぇが、じぎょうちぅに、じゅけんの話なんかをしたときに。
・「合否ギリギリのとこを受けたい、って言われた時、教員は、どっちを勧めても後で大抵何か言われる。ギリギリな方を攻めろと言って落ちたら落ちたであの時止めてくれればとか、受かったら受かったでその後大変だった(学費だったり学力だったり)とか、手堅く行って受かったら受かったでもうちっといけたんじゃねえかとか。あーでもそこも落ちたらさすがに何も言われないけどね」
・「勉強しろよ、って言いたくなることはある、でもそれを言っても何にもならない、言いたくなるような生徒は言ったところで何もしないから。それでもここ(教壇)から見てると、ひとこと言っておかなきゃいけないような気がすることはたまにあるね」
石川先生、北原先生、もうとっくに定年だろうな。お元気かなあ。
投稿者 zig5z7 | 返信 (2) | トラックバック (0)